2015年1月28日水曜日
美しい理由
先づは自分の価値観を除いてご覧下さいませ。
呉服屋とは美しいものを「売る」ことを生業とします。
美しい思考とは人それぞれ。さらには「こと」も人それぞれ。
どう感じるか、どう思えるかはその人次第である。
洋装が良い人。ジーパンが良い人。タキシードが良い人。和装が良い人。
人それぞれ。
僕の場合は、根本的に古いモノが好きであり、自分の使い古した、あるいは自分で手を加えたモノはもっと好きである。
使っていく上で変化していく色、形。それがたまらなく好きだ。
そんな僕でも、毎日、それら美しいと心底思える「もの」に触れ合っている。
社長、女将、妻が仕入れた作品には力がある。
いつも思うのは、どうしたらこの美しい作品たちを理解してもらえるんだろうと言う事。
「売る」という行為が生業ならば、「理解」とはまた違った領域なのだろう。
健全にも家族は全うしている。
ならば、幸いにも僕は本物を見れる。本物の匂いを嗅げる。
もうこれは癖であり、お恥ずかしい限りなのだが、気になった素材、染め、生地も技法も問わず、自分の鼻でその作品の感触を確認してしまう。
眠る、先代が遺した逸品たちには力があり、確かに匂いがある。
これこそ自分の感じる美しさであり、理解できぬ人には完全に無の世界であろう。
だが、それが良い。
先代、現社長、そして僕。
変わり者の自分がこの地に訪れたのは、紛れもない「こと」である。
人生はどこかに身を委ねる場面があるから面白い。
朝日新聞〜髭男爵記事〜(リンクあり)
若い人にはじっくり読んで欲しい。
ここにヒントは無くとも、「感じるコト」はあるだろう。
すなわち、自分の「理由」を感じ取って欲しい。
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